最悪すぎるフランス旅行の思い出
旦那と出会う10数年前、初めてのフランスで最悪な経験をしました。
当時、バックパッカー旅行にハマっていた私は、イギリスでの短期留学を終えた後、
いとこの住むパリを訪ね、その後ヨーロッパ大陸を旅する計画をしていました。
※いとこは現地のフランス人と結婚しパリに住んでいた。
ロンドンからEasyjetというLCCで早朝便でパリに降り立った私は、
パリ市内のいとこの家に向かおうと空港のバス乗り場に向かったけれど、
バス乗り場は長蛇の列だったため、仕方なく電車で向かうことにしました。
(それが後々最悪の選択だったとは知る由もありませんが、、)
車内はとっても空いていたけれど、盗難に合わないため、下記の対策をしていました。
・誰も座っていないボックスシートの窓側に座る。
・貴重品を入れたカバンは誰にも盗られないように窓(壁)側と自分の間に置く。
出発して40分程経ったころ、一人の白人男性が何かを話しかけてきました。
小声で何語を話しているかも聞き取れません。
座ったまま、体をそちらに向けて耳を傾けましたが、わからないので、英語でわからないと伝えると、彼はオーケーと言って去っていきました。
その後、15分程経過してから降りる駅が近づいて、、、
重いバックパックを背負って準備をしていたところ、、、、
ない!!!!!!!!!!!!!!!!!
窓際に置いていたはずのカバンがない!
カバンには、全財産、パスポート、いとこの家の住所のメモ書きが入っていました。
もしや、さっきの白人男性が盗った?
いや、一人だったし正面から見てたし、ありえない!とパニックになりながら、とりあえず、目的の駅で降りました。
いとこの家の住所は通りの名前までは憶えていました。
「とりあえず、その通りまで行ってみよう」
と向かってみたものの、やっぱりその後の住所が思い出せません。
インターネットカフェさえ使えれば、Emailにいとこの住所が残っているけど、
1ユーロさえも持っていないため、使用することができない。
パスポートもないから身分も証明できないし。。
途方にくれて、教会の前で一人でシクシク泣いていました(笑)
すると、通りすがりのベビーカーを押していた女性が英語で「どうしたの?」と声をかけてきました。経緯を話すと、「とりあえず、鉄道警察に行きなさい」と言ってくれました。パニックすぎて、警察に行くという頭がなかった私は急いで鉄道警察に向かいました。
鉄道警察についたものの、英語を話せる人がおらず、1時間程待たされました。
やっと通された部屋では、盗難証明書は書いてくれましたが、
下記のことを言われました。
・泥棒はきっと二人組。一人が私の気を引いている内に、後ろから手を延ばして盗ったのではないか。
・泥棒はフランス人ではない。だから私たちはわからない。
・もっと忙しい案件があるから、あんた日本人ならさっさと日本大使館に行け
と冷たくあしらわれました。
もうこの時点でフランスが大嫌いでした。
日本大使館に向かう電車の中で、爆音のスピーカーを持ったアラブ系の若者がヒップホップを披露していました。披露し終わると、乗客からチップを集めていました。
例によって、私の前にもきて「マネー」というので、「ノーマネー!」と叫んだところ、「君、英語が話せるの?」という謎の返答があり、ますますフランス嫌いに。
日本大使館は、シャンゼリゼ大通りのすぐ近くにあり、もちろん凱旋門も見えたのですが、クサクサした気分だった私にとって全てが負の象徴に見えた(笑)
やっとたどり着いた大使館は、なんと「休館」。
そう、この日はジャンヌダルクが起こしたフランスの革命記念日だったのです。
(この日ほど、ジャンヌダルクを恨んだことはない、、)
大使館の前には、「緊急の場合はこちらに電話を」という貼り紙と共に電話番号が書いてあったけど、私には、電話をかけるお金もなく。。。。。
途方にくれて、またシクシク泣いていると、大使館の警備の人が声をかけてくれました。事情を説明すると、僕の携帯電話を使っていいよと言ってくれました。
その電話で日本大使館の人に電話すると、すぐに駆け付けてくれました。
但し、休館日なので、館内のシステムでいとこの住所を検索することはできないとのこと。
インターネットカフェの利用代金さえあれば、という話をしたところ、心配だからと、
200ユーロ貸してくれました。(自腹で)
パスポートもないため、本当に日本人かわらないのに、快く貸してくださり本当に感謝でした。
その後は無事にいとこの家まで辿りつくことができました。
この時、私は新しいパスポートが発行されたら、一刻も早くフランスを出て、二度と戻らないことを誓ったのでした。
それが、まさかフランス人と結婚することになるなんて、、、、
人生何が起こるかわからない!